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今回は日本サッカーのエンブレムについて紹介します。

中学生の時にサッカーの試合の遠征で和歌山県新宮市に行きました。
その時に必勝祈願ということで熊野速玉大社(同県新宮市)を訪問したことがあります。

その時にヤタガラスのことを知りました。今から20年以上前の話です。

八咫烏とは?

日本代表ユニフォームの胸にエンブレムがあるのをご存知でしょうか?

八咫烏

サッカー日本代表ではなく厳密には日本サッカー「JFA」にとってのシンボルマーク、エンブレムなんです。

ボールを押さえている三本足の烏。
元になったのは中国の古典にある三足烏。

日の神=太陽をシンボル化したもの。

八咫烏は日本神話で神武天皇が日向(宮崎県)から橿原神宮(奈良県)へ向かう神武東征の際、山深い熊野を案内したそうです。

現在は忌み嫌われ気味のカラスですが昔は親しみがあったんですね。

日本サッカーのエンブレム 八咫烏を家紋にしている戦国武将とは?

戦国無双 雑賀孫市

戦国時代に鉄砲を使用し、本願寺の戦いで織田信長を苦しめた戦国武将、雑賀衆の「雑賀孫市」

この武将が家紋に使用しているのが八咫烏。

もともと雑賀孫市の本名は鈴木孫市重秀とも言われているそうです。

八咫烏紋と呼ばれるこの家紋は鈴木姓が良く使っているとも言われている様ですね。

鈴木発祥の地、和歌山には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)と熊野本宮大社(同県田辺市)、熊野速玉大社(同県新宮市)、この熊野三山の神社の紋「社紋」に使用されています。

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そこから派生したのだと考えられます。

河野氏や越智姓の折敷三文字と成り立ちが良く似ていますね。

FC今治のエンブレムにも愛媛、今治にえんの深い折敷三文字が使用されています。

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なぜ日本サッカーのエンブレムに選ばれたか?

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勝利を導く守り神としてサッカーファンにはおなじみの「八咫烏(やたがらす)」。

その理由ははっきりしないそうです。

しかし協会創設などに尽力した漢学者、内野台嶺(たいれい)(1884~1953年)の発案だったといわれる。

日本サッカーの生みの親といわれる和歌山出身で明治の指導者、中村覚之助(1878~1906年)が内野台嶺の東京高等師範学校(現筑波大学)の先輩で、那智勝浦町(当時の那智町)の出身だったことから、覚之助の功績をたたえる意味でゆかりの地のものを採用したのではないかと言われているそうです。

愛媛県でヤタガラスを見ることのできる神社を探してみた

愛媛県でヤタガラスを見ることができるかどうかグーグルやグーグルマップで検索してみました。
残念ながら見つけることができませんでした。

しかしヤタガラスの社紋(神紋)である熊野神社系をグーグルマップで調べ、何社か実際に訪問してみたところなんと愛媛県で八咫烏を見つけたんです!

ヤタガラス
ヤタガラス

熊野本宮大社からの流れを組む熊野神社は愛媛県東温市の伊予川内インター、らくれんの近くにあります。

熊野神社
熊野神社

今治からは少し遠いですが、西条市や新居浜方面から愛媛FCを応援に行く際には便利かもしれません。

日本代表が好きな方や代表のユニフォームのエンブレムのカラスが気になっている人は訪れて見るとおもしろいかもしれません。

まとめ

大正10(1921)年に大日本蹴球(しゅうきゅう)協会として設立された日本サッカー協会は昭和6年から、八咫烏をシンボルマークとして使用。
現在でも熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)と熊野本宮大社(同県田辺市)、熊野速玉大社(同県新宮市)の熊野三山に祭られ、日本サッカー協会の関係者がワールドカップの前などに参拝し日本代表の必勝祈願を行っているそうです。

ロシアワールドカップの必勝祈願はもう言ったんでしょうかね?

和歌山県民や和歌山県出身者でも以外と知らないんじゃないでしょうか?

日本サッカーと和歌山県は縁が深いんてんすよ、意外とね。